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なにわ太郎のつぶやき日記
〜カウンタの回る法学研究所〜
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07年03月の日記
『東電OL症候群』を読む
2007年3月1日(木)
佐野眞一『東電OL症候群』新潮文庫を読む。
すでに論及した佐野眞一『東電OL殺人事件』新潮文庫の続編である。前作は、第一審の東京地裁で無罪判決が出るまでの時期を取り扱っていた。
今回の作品は、第二審の東京高裁で逆転有罪判決が出た前後を取り扱っている。前作に対する女性読者からの反響の大きさを紹介し、それらの読者と会った話が語られている。
わたし個人としては、逆転有罪判決に関係した東京高裁の2人の裁判官の人生を紹介している部分が興味深かった。
裁判官弾劾裁判所の様子が紹介されている。そういえば、かつてGID特例法の関連で行ったことのある参議院法制局と同じ建物内に、裁判官弾劾裁判所があった。
被害者である東電OLは、詳細な売春日記をつけていた。その紹介の中に、うるう年の関係で、日付と曜日が合致する場合には、古い手帳を使って売春日記をつけていたとい部分がある(客と対価を記入)。
佐野氏によれば、有罪とされたネパール人男性は無罪であり、高裁判決は明白な誤判であるとのことである。冤罪事件である。
ーーーー
23年前の日記inカナダ
1984年3月1日(木) ころ頃のケベック市では、気温はマイナス10度からマイナス20度の間である。ほとんど雪は降らず、快晴の寒い日々である。
冬の間、客が少ないので、小さなホテルの2階部分をアパートとして借りていた。オーナーのドワイヨンさんは、無愛想で、9ヶ月に及んだ賃借中、あまり良い思い出はない(後に、初夏になり、観光客が増えた頃、大学近くのアパートに引っ越した)。
地下鉄で徘徊
2007年3月2日(金)
最近、この日記の具合が悪く、推敲することができない。文章の間違いに気がついても直せないのである。
今日は、大阪の地下鉄に乗って、市内各地を南北にウロウロする予定である。
午前中は、大阪弁護士会館へ。新館になってから、大阪弁護士会へ行くのは今日が初めてである。
午後は、南部へ。夕方、韓国語のレッスン。夜は、また北部へ。その後、地方に出かけ、外泊の予定。
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23年前の日記inカナダ。
1984年3月2日(金)
ドワイヨンさんとの契約は次のとおりであった。2階部分の4部屋、トイレ、バス、台所を賃借する。家具付き、暖房付き、電気代込み。契約は、1983年9月6日に始まり、翌1984年6月6日に終了する。毎月の賃料を400ドルとする。賃料は、毎月6日に先払いする。
その他の支払い(権利金、保証金、敷金など)は一切なかった。
足りないものは、電話、テレビ、枕、シーツ類であった。
1アメリカドル=240円程度、1カナダドル=200円程度である。したがって、家賃は約8万円ということになる。
地方都市をウロウロ
2007年3月3日(土)
某地方都市で目覚める。朝ご飯を求めてコンビニを探す。延々と歩く。歩き疲れたころに、やっとローソンを発見。おにぎりとコーヒーを買う。
午前中はミニ・イヴェントに参加。
午後は、地方都市の美術館を訪問。
夜、自宅へ。
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23年前の日記inカナダ。
1984年3月3日(土) アパートと大学の位置関係は、次のとおりであった。
ケベック市の中心街ーーアパートーー大学ーー巨大スーパーマーケット群。
月曜日から金曜日は、7番または8番のバスにのって、大学へ。土、日のどちらか一日は、ケベック市中心街へ。もう1日は、洗濯とか買い物をしていた。アパートに洗濯機がなく、近くのコインランドリーで洗濯をしていた。
11年前(カナダ時代から12年後)のフランスでもコインランドリーで洗濯をしていた。日本では、自宅に洗濯機がある。「洗濯機のある・なし」って内国人・外国人の違いのメルクマール?。
今、近所でコインランドリーを使用している人々を眺めると、外国人風の人が多いかも。。。
2007年3月4日(日)
秋山賢三『裁判官はなぜ誤るのか』岩波新書を読む。
秋山氏は、元裁判官で、現在は弁護士をしている。その秋山氏が刑事事件を担当した裁判官時代を回想しつつ、誤判の原因と、誤判を防ぐための方策について述べている。
これまで、あまり考えてこなかった問題領域である。
職業裁判官としての生活がかなり息苦しい感じのするものであることがわかった。
同じように元裁判官で現在は、弁護士をしている人のブログとして、こういうものがある。
http://www.asahi-net.or.jp/~PD3H-OON/
http://plaza.rakuten.co.jp/0561393950/
上の「私が裁判官を辞めた理由」というものを読めば、裁判官生活の息苦しさが、そこはかとなく伝わってくる。また、弁護士になった当初の収入の確保しにくい状況などを読むと、自由業の厳しさがひしひしと伝わってくる。
わたしの知人で、正義感の強い人も、裁判官を辞めて現在は弁護士をしている。
ーーー
23年前の日記inカナダ
1984年3月4日(日) わが家のテレビ事情
テレビはアパートに備え付けではなく、1983年9月10日に、アトランテイック電器店で買った。税込み119ドル89セントの白黒テレビであった(約2万円強)。日本でもカナダでも、ほとんどの家庭ではカラーテレビであったが、節約のため白黒にしたのである。
日本には消費税というものがないので、定価として表示されている上に、外税で消費税がかかることに、当初は、面食らった(税込み価格は表示されていない)。カナダでは、州ごとに税率が異なる。ケベックでの消費税は9パーセントである(石油の出る西部の州では消費税は無しという話であった)。このため、暗算で税込価格を計算するのが難しく、実際にレジに行くまで支払うべき金額がわからない。
日本ではテレビがなかったので、家族みんなでテレビを見るというのは初めての体験である。
語学の勉強という名目でテレビを買ったのだが、冬の日曜日には、アイスホッケーの試合ばかり見て、あまり語学の勉強にはならない。
弁護士のホームページ
2007年3月5日(月)
弁護士の方々のホームページやブログを、ときどき読ませていただいているが、弁護士という仕事のたいへんさを感じる。
自らを「田舎の弁護士」と表現している方々のブログが面白いように思う。「行列」ができるのは都会の弁護士なのであろう。
愛読しているのは、たとえば次のようなものである。
http://www.trkm.co.jp/index.htm
http://www.nsknet.or.jp/~yukawa/
http://blog.livedoor.jp/pcitokun/
http://www.fben.jp/bookcolumn/
医師とか、弁護士って、ほんとに大変なお仕事だなあ。
ーーーー
23年前の日記inカナダ。
1984年3月5日(月)
ケベック、カナダを取り巻く政治状況について。
州の首相はケベック党のルネ・レベック氏である。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Ren%C3%A9_L%C3%A9vesque
連邦の首相は自由党のピエール・トルドー氏である。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre_Elliott_Trudeau
二人はともにフランス語系のケベック人であるが、ケベックの将来については考えがまったく異なる。レベック氏は、カナダからのケベックの独立を悲願としている。これに対して、トルドー氏は、ケベックはカナダにとどまるべきだと考える連邦主義者である。
この点は、ケベックのインテリを引き裂く悩ましい問題である。
無戸籍児の親が旅券申請
2007年3月6日(火)
まず、記事の引用
ーーーー
無戸籍児の親が旅券申請 300日規定の見直し訴え
民法の「300日規定」が壁になって戸籍がない京都市の子どもの親が5日、子どものパスポート(旅券)発給を申請した。
ほかに神戸市などの3人も申請。親たちは、離婚成立後300日以内に生まれた子を一律に「前夫の子」として扱う民法の規定の見直しや、戸籍がないと旅券が発給されない不利益の解消を訴えている。
神戸市東灘区の女児(2カ月)は1月、母親の女性(31)と会社員(31)との間に誕生。女性には夫がいたが、離婚が成立したのは昨年5月。離婚後、300日以内に女児が生まれたため、会社員を父親とする出生届は受理されず、戸籍を得られなかった。会社員は「法の規定だけで親子関係を否定されるのはつらい」と話す。
支援組織の特定非営利活動法人(NPO法人)「親子法改正研究会」によると、ほかにも4都府県で7日までに、同様に子どもの旅券発給を申請する。
(共同通信社)
ーーーー
引用終わり。以下、なにわ太郎の見解。
ーーーー
本来は、次のように手続きを進めるのが、法的には筋だと思う。
1 出生届を出す。(子は、前夫の嫡出子ということになる)
2 この子は「推定の及ばない子」だとして、「親子関係不存在確認の訴え」を提起する。(これが認められれば、前夫と子の親子関係が否定される)
3 現在の夫あるいはパートナー(子の生物学的な父)が子を認知をする。
子の懐胎の時期、子の母親が前夫とは実際上「別居状態」にあったことを証明すれば、「2」が認められる可能性は高いと思われる。最高裁昭和44年5月29日判決(民集23巻6号1064頁)を参照。
ーーーー
23年前の日記inカナダ
1984年3月6日 今日はアパートの賃料支払日である。近くの銀行のATMで500ドルを引き出す。そして、家主のドワイヨンさんに400ドルを支払い、領収書をもらう。残りの100ドルは生活費。
だいたい、1週間の生活費は150ドル見当である。
銀行のATMとは言っても、機能は限定的。通帳記入の機能はない(窓口で記帳してもらうしかない)。預金はできない(窓口で預ける)。
ところで、カナダの紙幣は次のとおり(サイズはすべて同一)。
2ドル紙幣(表裏とも赤茶色基調で、表はエリザベス女王の肖像、裏は鳥)
5ドル紙幣(表裏とも青色貴重で、表はローリエ元首相の肖像、裏は鳥)
10ドル紙幣(表裏とも青紫色貴重で、表はマクトナルド元首相の肖像、裏は鳥)
旧20ドル紙幣(表は多色刷りで、若い頃のエリザベス女王の肖像、裏は緑色基調で山と森林と湖の風景)
新20ドル紙幣(表裏とも緑色基調で、中年のエリザベス女王の肖像、裏は鳥)
ATMで出てくるのは、通常20ドル札だけ。400ドルの賃料だと20ドル札20枚で支払うということになる。
300日規定の問題の続き
2007年3月7日(水)
昨日の300日規定の問題に関する書き込みにいくつかの反応があった。法的な理論のスジとしては、昨日書いたとおりである。
当事者には、さまざまな都合があり(前夫からの暴力に対する恐怖など)、パスポート申請という手段をとっているようである。知事、マスコミを巻き込んで、民法改正を目指しておられるのであろう。それにしても、法理論的には、スジの良くない戦術・戦略だと思う。
弁護士の援助を受けないということを方針としておられるようである。それならば、弁護士でなくてもよいので、たとえば、行政書士の先生に相談されたら、どうであろうか。
実際に外国に行く予定があるのならばともかくとして、無戸籍の子にとっては、現実には、パスポートの問題などよりも、就学問題や医療保険の問題などの方が切実であろう。こうした問題では、日本に居住する外国人児童の問題などとも共通する面もある。
かつてのフランスには、新生児のための名の選択について「フランス風の名でなければならない」という制限があった(現在では、この制限は撤廃された)。その結果、バスク地方独立運動の闘士が、わが子にバスク語風の名を付けようとしたが、受理されなかった。このため、その子は、出生証書なしのままで成人した。大島俊之「子の命名に関する法的規制」判例タイムズ570号(1986年)参照。
さまざまな理由で、出生が登録されないままの子がいるのである。こうした子の力になってあげたいものである。
ーーーー
23年前の日記inカナダ。
1984年3月7日(水)
ラバル大学のこと。
http://www.ulaval.ca/Al/interne/plan/
ラバル大学のキャンパスは広大で、キャンパス内には、原始林が残り、数十のバス停があり、常時、バスが巡回している(有料)。警備員はパトカーのような車で巡回している。
法学部は、パヴィオン・ド・コナンク(13)の建物の内部にある。この建物は、巨大なもので、他の学部も入っている。
最近のカナダの(連邦)首相では、マルルーニー首相、クレチアン首相がラバル大学法学部の卒業生である。
200万円の借金
2007年3月8日(木)
関西の毎日放送テレビに「ちちんぷいぷい」という番組がある。
http://www.mbs.jp/puipui/
製作担当の方から、5年前くらいに、初めて電話をいただいた。そのときには、こんな番組があることを知らなかった。「ふざけた番組名だなー」と思いながらも、性同一性障害に関する法律問題について真摯な質問をされたので、真摯に答えた。その日の午後、わたしのコメントが放送されたようである。
その後も、ときどき、突然に、午前中に、「性と法」に関する質問の電話がかかってくる。そうすると、その日の午後に放送されるようである。
しかし、原則的には午前中は所用があり、電話に出られないのが普通である。また、研究室にはテレビがなく、原則として、午後にテレビを見ることはできない。
偶然、この番組の一部を聞いた(見たのではない)。この番組に出演しておられるインテリ記者の石田さんの発言。「借金は200万円が限度」という言葉が耳に残った。
偶然にも、数日前に、200万円の借金を申し込まれた。限度いっぱいか。
―――
23年前の日記inカナダ。
1984年3月8日(木)
ケベック州の政治では、苗字がジョンソンという政治的ライバルの二人がいる。二人は実の兄弟である。
弟のピエール・マルク・ジョンソンさん。ケベック党の議員である。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre-Marc_Johnson
非常に若くして、衆望を集めている。
お兄さんのダニエル・ジョンソンさん。ケベック自由党の議員である。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Daniel_Johnson
,_fils
ご兄弟のお父さんは、お兄さんと同じ名前で「ダニエル・ジョンソン」という。元のケベック州の首相である。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Daniel_Johnson_
(p%C3%A8re)
―――
23年後のコメント。
現在の日本における鳩山兄弟のようなものであろうか(曽祖父の鳩山和夫氏は民法学者で債権者代位権の研究で有名。大叔父の鳩山秀夫も民法学者)。兄は民主党。弟は自民党。
父のダニエル・ジョンソンさんがケベック州首相であったのは、1966年―68年。ケベック独立問題についての立場は明確ではない。
2人の息子さんのうち、弟さんが先にケベック州の首相になった(1985年)。この人は、弁護士かつ医師。独立主義者である。
お兄さんは、弟よりもはるかに遅れて、1994年にケベック州の首相になった。この人は弁護士。連邦主義者である(ケベックの独立に反対)。
政治的には兄弟二人とも短命で、州首相であったのは1年未満である。
カナダ在住当時は知らなかったことが判明。
2人の兄弟の母上は、不倫をしていたようで、1953年に、愛人ベルトラン・デュソー(カナダの放送局のジャーナリスト)に拳銃で撃たれた。その直後に、この愛人は拳銃自殺。
アイルランド音楽CDを聴く
2007年3月9日(金)
CDプレーヤーの具合が悪かったので、新しいのと取り替えた。
これまで、世界の各地をウロウロと放浪していた日々、各地でレコードとかCDを買ってきた。わたしは特に音楽好きという訳ではないのだが、写真だけでは記憶にとどめにくいので、こうしたものも買ってきたのである。
アイルランドに行ったときに買ったアイルランド音楽のCDを聴く。インターネットで調べてみると、今では、現地に行かなくても買えるようである。
なぜだかわからないが、アイルランドは大好きである。
ーーーー
23年前の日記inカナダ。
1984年3月9日(金) ほぼ完璧に当たる天気予報。
ケベックは、北米大陸の北東部に位置する。天気は、西から変わってくる。ケベックの西は北米大陸の各地であり、たくさんの観測点がある。
このためであろうか、ケベックでは、天気予報は、ほぼ完璧に当たる。
予定されていた行事が天気予報の結果、キャンセルされることがある。「○○日に予定していました研究会は、当日が雪嵐の予報ですので延期します」というような通知が、事前に来るのである。
ーーー
23年後の感想。
日本の西は海であり、観測点が少なく、天気予報が完璧には当たらないのであろう(?)。
痴呆老人日記
2007年3月10日(土)
痴呆老人日記。 昼前、近所のK医院へ。普通は徒歩で行くのだが、診察の終了時刻が迫っていたので、自転車で行く。血圧測定の結果は120−70。こんな良い数値は始めてである。先生の言葉。「休みの日の朝は、やっぱり血圧が低くて。よろしいですね」。処方箋をもらい、医院の向かいの薬局へ。血圧を下げる薬を購入。薬剤師の先生とサッカーの話をする。その後、徒歩で帰宅。
午後、公園へ散歩に行く途中で、K医院の前をとおり、自転車が一台放置されているのに、気づく。わたしの自転車である。痴呆が始まったかな。
夜、京都で道に迷う。うーーん、やっぱり痴呆か。京都泊。
23年前の日記inカナダ。
1984年3月10日(土) このころは、メイプル・シロップを集めて煮込む小屋(カバンナ・シュクル)に人々が集まり、ビールを飲み、料理を食べ、メイプル・シロップを使った料理やデザートをいただく。そして、室内ではダンス。屋外では雪遊びなどをする。
真冬じゃないこのころが、気温の変化が激しいので、メイプル樹木の伸縮が大きく、シロップが出やすいのである。
http://www.quebecregion.com/f/erable.asp
わたしは実際には、先月2月11日(土曜日)のカーニバルの日に、パット君の車に乗せてもらい、家族全員でメイプル・シロップ小屋に行った。多数の人々が集まっており、楽しいパーティーであった。
カーニバルの夜は、ラバル大学から、ケベック旧市街へとパレードであった。わたしも家族全員でパレードに参加した。異常なほど気温の高い日で、雨が降った。冬になって雨が降ったのは初めてである。
軽い二日酔い
2007年3月11日(日)
二日酔い 2007年3月11日(日)
京都で目覚め、大阪に帰る。軽い二日酔いである。
23年前の日記inカナダ。
1984年3月11日(日) 週末は、ケベック旧市街に出掛けた。
http://www.quebecregion.com/f/index-site.asp
市内中心部は「旧ケベック」と呼ばれ、古い建物が並んでいる。
セント・ローレンス河を見下ろす高台に位置する。セント・ローレンス河は冬季の間凍結する。
ケベック市がセント・ローレンス河の北に位置し、対岸の南岸にレヴィ市が位置する。元は造船業で栄えた。
ここの使用は終わり
2007年3月24日(土)
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