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なにわ太郎のつぶやき日記
〜カウンタの回る法学研究所〜
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07年02月の日記

お金の話 2007年2月1日(木)
50万円を振り込む。おいおい。振り込み詐欺かい?。これで、57万円弱。見返りに何くれるの?

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11年前の日記inフランス。
1996年2月1日(木)快晴、暖かい。 電話会社で電話料金の支払い。2か月で合計293フラン(約6千円)。隣の郵便局のATMでお金を引き出し、BNP銀行へ。ところが、銀行の昼休み。全行員が一斉に昼休みを取らなくてもよいと思うのだが、これがフランス風。

わたしも昼食。その後、BNP銀行に行き、家賃の振込み。1ヶ月分で3263フラン(約7万円)。

フランスの銀行のATMは1年365日24時間、無料で利用できるが、このBNP銀行だけ手数料をとると発表。

消費者団体は大反発。銀行取引契約の内容を利用者の承諾なくして銀行側が一方的に変更することはできない、という法理論的な反論。

杉浦郁子ほか『パートナーシップ・生活と制度』 2007年2月2日(金)
少し前にいただいた杉浦郁子ほか『パートナーシップ・生活と制度』(緑風出版)を読む。

なかなかわかり易い解説である。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月2日(金) 曇り、のち雨。寒い。 アルザス地方法の研究をしている助手から、アルザス地方法について教えてもらう。さまざまな点で、フランス本土(ボージュ山脈の西)の法とは異なるようである。

日本ストラスブール親睦会の会報3号が届く。

節分 2007年2月3日(土)
節分のため、巻き寿司を食べ過ぎる。掃除。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月3日(土) 曇り、にわか雨。寒い。 カフェでコーヒーを飲みながら、新聞を読む。のんびりとした週末。

休日も、事務処理、事務処理、事務処理 2007年2月4日(日)
朝、事務処理。昼、ヘルシアを飲んで徘徊。午後、事務処理。夕方、徘徊。夜、事務処理。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月4日(日) 日本のマンガがフランスでも大人気。フランスのスーパーでも、カタカナで「ドラゴンボール」と書いたマンガが置いてある。中身はフランス語で書いてある。
午後、コインランドリーで洗濯。
夕方、日本ストラスブール親睦会の会報に書いた私の記事を読んだというフランス人のご老人の男性から電話をいただき、しばし雑談。

長居公園では 2007年2月5日(月)
終日、事務作業に忙殺される。その間、長居公園では、なにか動きがあったらしい。日本には、ピエール神父はいないのか。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月5日(月) 快晴、暖かい。 ある外交官の方から、ご連絡をいただく。当方の事情を説明。

整理・整頓 2007年2月6日(火)
朝、本の整理、整頓。昼、ヘルシアを飲んで徘徊。午後、整理整頓。夕方、パスタを食べる。夜、新聞の切抜きの整理。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月6日(火) 快晴、寒い。フランスの他の地方では大雨で、大被害。

フランスでは、昨年は、一昨年に比べて犯罪が激減したとのこと。爆弾テロ警戒のため、多数の警官が街中を常時巡回したからであろう。

ただし、警官の自殺が激増したとのこと。警察官は、ストレスの強い職業のようである。

整理、清掃。 2007年2月7日(水)

ほこりアレルギーのわたしは、紙のマスクをして、紙の雑巾で書棚の整理と掃除。昼と夕方には、気分転換に徘徊。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月7日(水) 雪。 ストラスブールでは、この冬最大の積雪量。それでも、5ミリ程度。フランスの大西洋岸では嵐のような天気だそうである。

先々週に書いた山間の寒村で火事が頻発していた件は、放火と判明。放火犯人は、村の住人で、自分の家を含めて10数回の放火を重ねたとのこと。彼は、被害者として数回テレビインタビューに答えていた。

マスク、手袋、ゴミ袋 2007年2月8日(木)
今日も、清掃と整理の日々。だいぶ、よくなった。紛失していた2つのわたしの論文を発見。

フランスのスポーツ法学の本が書棚の片隅から出てくるなど、うれしい発見が続く。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月8日(木) 雪。 今日も雪。積雪量は合計1センチ程度になった。

フランスの2大都市(パリ、リヨン)では、大気汚染が原因で年間数百人が死亡しているという調査結果が発表される。特に、トラックのディーゼル・エンジンの排気ガスが大気汚染の重大な原因。

立候補、立候補、立候補 のご予定。 2007年2月9日(金)
日本各地で、知り合いの方々が、様々な選挙に立候補のご予定。今日、意外な人からも、立候補の計画を告げられる。驚いた。びっくり仰天。

わたしは、GID学会第9回研究大会の準備に専念する。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月9日(金) 快晴、暖かい。 昨日までの2日間に積もった雪の上に日光が当たり、まぶしい。暖かい日差しのために、日のあたるところでは雪が解ける。

午後、ずっと、夕方まで、生まれて初めて北米に行くという助手と雑談。格安チケットを見つけたらしい。カナダやアメリカへ旅行する上でのアドヴァイスをする。

 ミニお遍路 2007年2月10日(土)
 高速バスで四国・徳島へ。

 ミニお遍路。道に迷う。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月10日(土) 晴れ、暖かい。

午前中は、カフェでコーヒーを楽しむ。
午後、ドイツのフライブルグへ。スイスが近いため、スキー板を持った人が多い。

フライブルグ見物。

フライブルグ大学の側のレストランで夕食。少しはドイツ語を話せるようになった。

夜、ストラスブールに帰ってくる。

ミニお遍路(続き) 2007年2月11日(日)
ミニお遍路の続き。

雨に降られる。偶然、知人に出会う。コーヒーをいただく。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月11日(日)晴れ、暖かい。 フランスのトップニュースは、北海道のトンネル事故。その後、イギリスの爆破事件、アルジェリアの爆破事件と続く。

冤罪文学 2007年2月12日(月)
佐野眞一『東電OL殺人事件』新潮文庫を読む。

被害者の女性が、東京電力の社員で、夜は売春をしていたことで有名。著者によれば、加害者とされたネパール人男性は無実であるという。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月12日(月) 雨、のち曇り。風は強いが暖かい。温度が上がったため霧が出る。

3年前の事件が脚光を浴びる。黒人青年がタバコを数箱を盗んで逮捕され、警察署内で警察官に頭部を撃たれて死亡した。

今日、その裁判が開始。判決結果によっては、黒人暴動が起こるかもしれないというので、たいへん注目されている。

フランスの刑事訴訟では、準備に数年かかるが、裁判が始まれば、すぐに判決が下される。

 大阪市役所パリ事務所が占拠される。 2007年2月13日(火)
大阪市役所のパリ事務所が市民団体に一時占拠されたというニュース。長居公園でのホームレス排除に対する抗議がフランスのパリで起こったのである。大阪市役所は、驚いたようだ。

ホームレスの人々に対する一般市民の態度が日本とフランスでは大きく異なる。フランスでは、ホームレスの人々に対する一般市民のまなざしが優しい。「自由、平等、博愛」の「博愛」を痛感した(わたしの語感では、「博愛」よりも「友愛」と訳する方が良いようにも思うが)。

フランスで暮らした日々、心からフランスの一般市民を尊敬したことの1つは、ホームレスの人々に対する暖かい接し方であった。

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室内の整理と清掃。電車内では、佐野眞一『東電OL殺人事件』新潮文庫の続きを読む。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月13日(火)くもり、ときどき雨。

フランス人がパンを食べなくなったという話題。20世紀初頭、フランス人は、一日に一人あたりパンを900グラムも食べていた。

ところが、現在では、パリのフランス人は一日に160グラムしか食べていない。パリ以外のフランス人は320グラム食べている。

本と資料の整理 2007年2月14日(水)
終日、マスクをして、本と資料の整理。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月14日(水) くもり、にわか雨。 フランスの子供たちに対する「職業イメージ」アンケートの結果。

社会で最も尊敬されている職業は弁護士。
最も儲かるのはファッションモデル。

ARC(ガン研究所)の乱脈経理問題がマスコミを騒がせている。前理事長が個人的利益を得ていたとか、政治家へのヤミ献金をしていたなど。

ARCは、一般国民から巨額の寄付を集めている。ガンにかかった患者に、死亡の直前、「遺言のひな型」を配布し、ひな型とおりの遺言を書かせ、多額の寄付を得ているのである。

事務処理 2007年2月15日(木)
終日、事務処理。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月15日(木) 久しぶりに快晴、暖かい。 中学校、高校における校内暴力問題が大きく取り上げられている。

暴力シーンの多いテレビ漫画、とくに日本漫画が、校内暴力を誘発しているとして、やり玉に。

フランスはマスコミ規制の好きな国で、「テレビ映画の○○パーセント以上はフランス映画でなければならない」とか、「ラジオで放送する曲の○○パーセント以上はフランス語の歌詞の曲でなければならない」などという規制がすでに実施されている。

フランスのマスコミ人は、政治の介入に対して無力である。



事務処理 2007年2月16日(金)
事務処理の日々。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月16日(金) 快晴、暖かい。 月曜に始まった黒人殺害事件の判決。被告人の警察官には殺意がなかったとして、懲役8年の刑。

黒人団体が非難声明。黒人グループが数台の車の窓ガラスを割った程度で、大暴動にまではならなかった。

「文化ごった煮」というテレビ番組を見る。出演者は、サルマン・ラシディー(ホメイニ師から死刑を宣告されたインド系イギリス人作家)、マリオ・ヴェルガス・リョサ(前々回のペルー大統領選挙でフジモリ氏に敗北)、ウンベルト・エコ(イタリア人の哲学者・作家)。前2者は現在イギリス在住。後2者は、フランス語をしゃべる。3人は友達。


寒い、雨の週末 2007年2月17日(土)
今朝の朝日新聞の「人」欄に、高松亜子先生が取り上げられている。

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この土・日の2日間、メールが使用不能らしい。ファックスと携帯で対応するしかないだろう。

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午後、雨の長居公園の周回道路を徘徊。風もあり、非常に寒い(気温5度)。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月17日(土)快晴、暖かい。 ドイツのシュバルツバルトに行く。オフェンブルグからスイス国境の湖畔の町コンスタンツまで通じるシュバルツバルト線の列車に乗る(超ローカル線)。

曲がりくねって、たくさんのトンネルを通る。途中のトリベルクで降りて、森林浴でもするつもりであったが、ぼた雪の大雪のため、あきらめてオッフェンブルグに引き返す。オフェンブルグでは青空。

車中で読んだルモンドの記事。ある国際会議におけるアメリカ人学者の発言。「アメリカ、日本、ドイツ、イギリスは規制緩和の方向で政策を実施中なのに、ロシアとフランスは規制強化の方向で政策を実施中だ。このままでは、フランスはドイツの1つの州になってしまうだろう」。フランス人出席者は、皆大笑いしながらも、うなづいたとか。


確定申告の準備 2007年2月18日(日)
終日、確定申告の準備。

収入上の最近の特徴は原稿料収入の減少。つまり、研究活動の停滞。

支出上の最近の特徴は医療費の増加。加齢・老化が原因。

結局、老化を示しているのであろう。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月18日(日) くもり、暖かい。 昨日から、カーニバル。フランスでは、ニースのカーニバルが有名。ニースのカーニバルでは、ミモザの花を投げる。これを「花のたたかい(バターユ・ド・フラール)」という。

明日から、学生諸君は1週間の休暇。ケベックの大学では、これを「読書週間」と読んでいたが、実際にはスキー・バカンスだった。

大学そのものは開いているので、わたしは大学へ行く予定。

ホームレスではないことを証明するために。。。 2007年2月19日(月)
今日も、また、朝から、書類への記入作業。最近、こんな日々が多い。

氏名、住所を書き、印鑑を押す。
まあ、これくらいのことは仕方ない。

うん十年前に卒業した学校がどうのこうのということを書き、しかも、それに証明書を添付しろと書いてある。仕方がないので、うん十年ぶりに学校に電話をしてみたりする。

家族関係まで書かされる。また、それを証明しろと書いてある。区役所に行って戸籍謄本とか住民票をもらってくるしかない。

今のわたしの人相を証明するために、写真を何枚も添付せよと言われる。写真屋さんに行って、写真を撮る。「ネクタイがゆがんでますよ」などといわれる。口のゆがみ、髪型、ネクタイについてうるさく言われながら、写真を撮る。

住居の所有関係を証明しろと言われる。なんでそんなことまで言われるのか。
登記謄本でも用意するか。

新しく銀行口座を開けといわれる。
最近は、口座を開く際には、本人確認が厳しい。

○○印紙を貼れと書いてある。「収入印紙」は知っていたが、こんな印紙もあるのか。

成年被後見人じゃないことを証明しろ、と書いてある。あああ、メンドー!

健康診断書を出せと書いてある。しかも、医療機関が厳しく限定されている。もう、いいかげんにせー!

昨年の収入額を証明せよ、と書いてある。
あああ、嫌だ。

わたしは、ホームレスになりたい。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月19日(月) 晴れ、暖かい。 わたしのアパートは24時間温水循環式の暖房。

室内の温度が上がりすぎたので、少々窓を開けて冷気をいれ、室温を下げる。

省エネに反するなあ。

書類づくり 2007年2月20日(火)
いろいろな書類作りにはげむ。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月20日(火) 曇り。 フランスの他の地域では、大雪で交通が寸断されている。パリでは空港が閉鎖された。しかし、ここストラスブールでは雪は降らず、まったく問題なし。

現在徴兵されている商法助手のグロクロード君が、軍服姿で研究室に遊びに来る。彼は大学出なので最初から階級は少尉。兵役は10か月間とか。今、フランスでは徴兵制の廃止が大問題になっているので、軍隊のことを色々と聞きながら、話し込む。

へー、インターネットって便利なんだ 2007年2月21日(水)
今日、初めて、インターネットでイタリアのテレビニュースを見る。

こんなことができるなんて知らなかった。まったく偶然に、こんなことができた。インターネットを利用するようになって10年近くなるのに、初めて。。。

でも、イタリア語がほとんど分からない。情けない。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月21日(水) 曇り、寒い。フランス語でキャッチャーという英語からの外来語がある。つづりはフランス語化して、catcheurである。これで、プロレスラーの意味である。フランス語のレスラーとしてはlutteurという語もあるのだが。

ケベックとアルザスのテレビニュースを見る 2007年2月22日(木)
インターネットで外国のテレビニュースを見ることができると知ったので、さっそく、カナダのケベック州ケベック市とフランス・アルザス地方ストラスブール市のローカルニュースを見る。

感激。これで、無料なの。。。

今日一日、日本の新聞を読まなかった。これで有料なの。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月22日(木) 快晴、大寒波。ものすごく寒い。 フランス風英語の話の続き。

フランスではクリーニング屋さんのことをpressingという。フランス風発音ではシを強く発音し、プレッシンと発音する。

アイロンでプレスすることから、こんな語がフランスでは広まってしまったらしい。もちろん、まちがい英語。

フランス語にはlaverie(洗濯屋)という語があるが、現在ではコインランドリーを意味する。

つまり、客が自分で洗濯するのがラブリー、店員さんが洗ってくれるのがプレッシン。

 韓国のテレビ取材 2007年2月23日(金)
双子の弟である「なにわ次郎」が、韓国のテレビ局の取材を受ける。日本の特例法制定のいきさつを説明し、いわゆる「子無し要件」の批判をしたそうである。

韓国の状況を聞きたがったようだが、テレビクルーが多忙のため、成功しなかったようである。

夕方、京橋でビールを飲む会で情報交換。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月23日(金) 快晴、寒い。 ケベックのリシャール君から電話をもらう。フランス船紀行を読んだというような話題。

天王寺でビールを飲む。 2007年2月24日(土)
夕方、知人と待ち合わせ、天王寺でビールを飲む。

ここでも、韓国のテレビ取材があったとかという話。

その後、京橋で、ベルギーのビールを飲む。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月24日(土) 晴れ、暖かくなる。

パット君から、オランダに遊びに来ないかというお誘い。寒いオランダに行くのは気乗りしない。

パソコンで悪戦苦闘 2007年2月25日(日)
パソコンの具合が非常に悪い。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月24日(土) 晴れ、暖かくなる。 午後、スポーツ新聞を持って、コインランドリーに行く。

2007年2月26日(月)
夕方、会議。
環状線を途中下車してビール。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月26日(月) 快晴、暖かい。気温がプラスの14度。気温がプラスの2桁になったのは、数ヶ月ぶり。


日本に路面電車が復活しない本当の理由 2007年2月27日(火)
研究室内で重い本を、あちこちと移動させる。
軽い腰痛になる。

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11年前の日記inフランス。
1996年2月27日(火) 快晴、暖かい。家賃を振り込むために銀行へ。コートを着て出たのは失敗。暖かすぎて汗をかく。コートなしの人が多い。

検札の係員がバスに乗ってくる。わたしの後ろの中学生グループは全員が切符なしの不正乗車。罰金額は、100フラン(約2000円)。罰金を取られた中学生たちが、下車後、けんか。

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11年後の補充

日本においては、ストラスブール市の路面電車の復活が環境に優しいとしてさかんに報道されている。

低床式の新型車両のデザインがすばらしいとか、騒音・振動が少ないというような報道である。

しかし、日本での報道は根本的におかしい。路面電車復活の基本は、車両製造技術にあるのではない。運転手一人で、多数の出入り口を一斉に開け閉めして、多数の乗降客が一気に乗り降りできるようにした点こそが、最大のアイデアなのである。これによって、運行スピードの飛躍的向上が実現されたのである。

つまり、乗降のスピードアップのために、一人一人の切符のチェックを原則として行わないのである。これこそが、路面電車復活の最大のポイントである。

このため、乗客は、切符なしで不正乗車をほぼ自由に行うことができるのである。そこで、これを防止するために、検札員チームが巡回しており、ときどき、車両に乗り込んできて、全乗客に切符の提示を求めるということをするのである。そして、切符を持っていない乗客から、罰金を徴収する。

運行されている全車両の数と、検札員の検札回数を統計学的に計算して、乗客に切符を買うように促すような罰金額が定められているのである。

ヨーロッパに行く前に、ヨーロッパで暮らしたことのある統計学者から、つぎのようにアドバイスされていた。切符は、買うのならば毎回必ず買いなさい。買わないのなら、ヨーロッパ滞在中一度も買わず、運悪く検札員につかまったときだけ罰金を払いなさい、と。

ストラスブールで暮らした2年間、必ず切符を買った。したがって、一度も罰金を払ったことはない。ただ、わたしの体験では、検札員のチェックを受けた回数はごくわずかであり、統計学的には、一度も切符を買わないという選択肢の方が多分、得であろう。



 11年前の日記から23年前の日記へ。 2007年2月28日(水)
11年前の日記inフランス。
1996年2月28日(水) 快晴、暖かい。

ゴーバン君から手紙が届く。彼は、ケベック州財務省の官僚。ケベックで、友人の友人の友人が招いてくれたパーティーで知り合った。

税法の研究のために日本に留学したいというので、東大の某教授に紹介し、留学できることになった。東京での住所が決まったという便り。

本来なら、日本で再会するはずのところ、わたしがフランス滞在中のため、すれちがいになってしまった。

楽しく東京での生活を始めたらしい。

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1996年はうるう年であったため、明日から、曜日が食い違ってくる。

そこで、明日からは、「1984年(23年前)の日記inカナダ」の連載を始める。月日と曜日が合致するのである。当時は、カナダ・ケベック州・ケベック市のラヴァル大学法学部での在外研究の日々を送っていた。

23年前に使用していた手帳は、数年前に、ゴミとして捨ててしまった。現在、手元に残っているのは、当時の預金通帳と写真だけである。

そこで、お金の出入りと日付入り写真から、23年前のカナダでの日々を回想することにする。空欄が多いのが実情である。

nik3.13